ゆめふく農園

大井 大輔さん(佐久市根岸出身)

モモやリンゴなどの果樹栽培が盛んな佐久市中佐都地区。100年以上前に始まったモモの栽培は1950年以降に盛り上がりをみせ、生産者数、出荷量ともに伸びていった。1980年代には全国でも数少ない指定産地になったりもしたが、佐久平駅の近郊という立地もあり1990年代から新幹線や高速道路の開通など交通網の整備、それに伴い宅地の造成が活発になりモモ畑の面積は年々減少していった。 ゆめふく農園の畑は現農場長の大井大輔さんの奥さんの祖母の代から始まり、大井さんで三代目となる。先述の歴史とともに歩みながらも家族の想いで繋げてきたモモ畑は三代目の手により少しずつ新たな展開をみせようとしている。

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株式会社アグレス

土屋 梓さん(南牧村野辺山出身)
標高1345m 線最高地点でもある野辺山駅の近くに並ぶ無数のビニールハウス。夏場の暑い時期にこれだけのホウレンソウが栽培できるのは、冷涼な気候である野辺山高原だからであり、1日平均2トンという出荷量はこの時期では全国でもトップクラスだという。白菜やレタスの栽培が盛んな野辺山において、ホウレンソウを主軸に展開するアグレスの経営方針は、野辺山開拓時代から代々受け継がれるフロンティア精神によるものであり、社名の元となっている「アグレッシブ」な行動力が創り上げてきたものである。

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わっか農園

会田淳さん(千葉県出身)会田芳実さん(茨城県出身)
宅配会社に勤めていた淳さんは、週末になると東京の自宅から茨城県にある就農準備校へ車で通っていた。さらに、二週間ほど原村にある八ヶ岳中央農業実践大学で学んだ。
就農してからも、大分県で循環農法を実践し、数々の著書を出版していた赤峰勝人さんの元へ通った。短期間で集中して行う座学や現場作業の濃密な時間は何よりも農業の知識と技術を深めてくれた。泊まり込みや合宿が好きで、飲み会の時は最後までいる性格はたくさんの人との関わりを通して自分への糧としている。 
芳実さんは、1970年代から始まった、有機農業の生産者と消費者が直接繋がる仕組み「提携」の消費者だった家で育ち、子どもの頃に援農として連れて行ってもらった農業の体験がとても楽しく感じたことをきっかけに農業の道を目指すようになった。一人農業で栽培から販売まで行い、直接お客様のところまで配送していた。

就農準備校:全国を対象に民間の農業研修機関を活用して、就農を志している人や就農を 始めたばかりの人に技術や経営を教えてくれる国の制度

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glassese farm

矢口鉄也さん(埼玉県出身)矢口富貴さん(山形県出身)

サラリーマン時代に勤めていた化粧品関係の会社で知り合った二人。何年か働くうちに、富貴さんはパティシエに、鉄也さんは農家へとそれぞれが新たな夢を抱くようになった。働きながら製菓学校にいった富貴さんは念願のパティシエとして菓子店に就職し、鉄也さんは千葉県の農業生産法人の会社へと就職した。
その会社では野菜や米、和梨の栽培と併せて加工品事業の立ち上げが行われた。パティシエとしての経験を買われて後から入社した富貴さんは加工品のレシピ開発と製造を任されるようになっていた。鉄也さんは農産物の栽培のみならず、加工品の企画プロデュース、営業などもこなした。その後、独立を考えた2人は縁があって東御市に引っ越すこととなった。そして、これまでの経験を生かしながら農業に取り組んでいる。

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新海ファーム

新海 智子さん(埼玉県出身)

レタス王国と呼ばれる村へ結婚を機に移住し、家業である農業を手伝い始めてから17年目。当初は慣れない農作業や生活環境に戸惑いを感じていた。月日を重ねるうちに仕事や生活の幸福度を上げていく必要性を感じてから村内でイベントを開催、アイデアコンテストに参加して女性応援グループを結成、NAGANO農業女子へ参加、オンラインサロンやラジオ番組の開設など活動範囲は多岐にわたる。

長野県の最東端に位置する川上村は、高原野菜と呼ばれるレタスや白菜などの栽培が盛んで、レタスの生産量は全国1位を誇る。

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ふきんと自然農園

宮﨑 由紀子さん(東京都港区出身)

北相木村が実施している親子山村留学を活用して、息子の玄くんと移住してきたのが5年前。村営住宅にあった家庭菜園用の小さな畑が農と関われる場所であって、その時は農家になるとは思いもよらなかった。それは東京のオフィスで9 cmのピンヒールを履いて働いていた宮﨑さんを知る元同僚や友人にとっても驚きだったという。その頃は生きてくうえでの義務感で働いていたが、農業を始めてからはPDCAサイクルを繰り返し、より良いものを作りたいという向上心と自主性が芽生えた。それは社会人になってから26年間で初めてであり青天の霹靂だった。子どものためにと決意した移住も今では自分が楽しむためのものとなり日々畑と向き合っている。

※PDCAサイクル…Plan(計画)、Do(実行)、Check(測定・評価)、Action(対策・改善)の仮説・検証型プロセスを循環させ、マネジメントの品質を高めようという概念。

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Toe’s company

清水 博人さん(小諸市滝原出身)
就農前は都内で化学メーカーのコスメティック部門の営業をしていた。健康と美容に携わり知識を培っていくうちに、外見の美や健康だけではなく、食を通じてのインナービューティーという観点から農に繋げられないかと思い、日本人のアイデンティティともいえるお米の食文化を活かそうと思い米作りを始めた。お米から得られる美と健康を高めるために適した栽培とは?その答えとして選択したのは「自然に抗うことなく共存する」ということだった。そして、自然と生き物が共存し、生きていくという共通の目的に全力で向かっている風景は、一つの神輿をみんなで担いでいるお祭りのようだと清水さんは語ってくれた。

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橿山農園

橿山 和幸さん(小諸市滝原出身)
農業を始めた頃は実家の米作りを手伝いながら建設会社に勤務する兼業農家だった。10年前に専業農家になり、当初6アールだった水田は現在は約6へクタールとおよそ100倍に拡大した。増えた水田の中には、栽培ができなくなった生産者から引き継いだものも多い。また、密集した棚田が多いこの地域では道が狭く、機械が入りづらい場所もたくさんある。それでも前職の建設業の経験を活かし、重機を使って圃場の整備をしたり、草刈りや田植え、稲刈りなどの機械を駆使してほぼ1人で92枚もの水田を回している。地域の方々か ら引き継いだバトンを手に橿山さんは常に走り回っている

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ベジガーデン畑楽*きんぺい

金澤金平さん(御代田町出身)
定年退職後に地元の御代田町に戻り、農業を本格的にやるようになった。 以前からネットで珍しい野菜を見つけては週末に地元に帰って栽培をしていた。最初は趣味の延長でやっていた畑仕事も、直売所の立ち上げに関わったり、昔とは変化してきた食文化の流れもあり、野菜の需要も多様化してきた ため、品種や生産量が徐々に増えていった。そして何よりも金澤さんが農業を続ける理由としては人との繋がりである。飲食店やホテルの料理人との出会い、直売所に買いに来るお客様とのやり取り。そのどれもが刺激的であり、会社員時代には味わえない経験ばかりであった。金澤さんのセカンド ライフは今も全盛期を更新しているのかもしれない。

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中島花き園芸

中島 和輝さん(佐久穂町出身)

佐久穂町のシンボルでもある茂来山を背に、祖父の代から3代目となる花卉栽培農家。米農家だった祖父が田んぼを花栽培に切り替えた。そして、父親の代になると町全体で施設を使っての産地化が推し進められ、いつしか町の一大産業になっていった。さらに和輝さんが引き継ぐようになると、世の中の花に対する需要や価値観も少しずつ変わり、多様化してきた。高校卒業後、フラワーデザインを学び、花屋に勤めた和輝さんは、その経験を生かし、栽培だけではなく幅広いニーズへの対応と自分の感性を大切に花の魅力を伝える。新たな世代が繋げる花作りへの挑戦は続く。
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