新海ファーム

新海 智子さん(埼玉県出身)

レタス王国と呼ばれる村へ結婚を機に移住し、家業である農業を手伝い始めてから17年目。当初は慣れない農作業や生活環境に戸惑いを感じていた。月日を重ねるうちに仕事や生活の幸福度を上げていく必要性を感じてから村内でイベントを開催、アイデアコンテストに参加して女性応援グループを結成、NAGANO農業女子へ参加、オンラインサロンやラジオ番組の開設など活動範囲は多岐にわたる。

長野県の最東端に位置する川上村は、高原野菜と呼ばれるレタスや白菜などの栽培が盛んで、レタスの生産量は全国1位を誇る。

環境の変化に戸惑い悩む日々からの脱却

結婚を機に川上村に来たということですが、それまでの経緯や心境を教えてください。

東京でバックオフィスや教育関係の仕事をしていました。これまで過ごしてきた環境や経験を置いて、知らない土地で未経験の農業をやることに多少の抵抗はありましたが、最後は人(夫)を選び、若さゆえの勢い(笑)で川上村に移住することを決断しました。子どもの頃に田舎の祖父母の家に遊びに行ったりしましたが、ここまでの田舎ではなかったので驚きました。暮らし始めてみると経験したことのない寒さや、地域との関わり方、農作業などに戸惑うことも多かったです。

様々な不安もあったようですが、その後の活動の原動力となったのは何ですか?

子育てが始まったのが一番のきっかけですね。子どもがまだ小さい時は子どもの生活に合わせつつも、出荷の繁忙期には夜も明けていない時間に寝ている子どもを起きないように車に寝かせ、30分おきに様子を見ながら収穫作業をしたこともありました。そんな特殊な生活の中でも、子どもに楽しく働いている姿を見せたいと思ったことや、村での暮らしを充実したものにするには何をすればいいか考えるようになったのが活動の始まりですね。

活動することが次の活動に繋がっていく

具体的にどのような活動をしてきましたか?

最初はアクティブリスニング(傾聴)やコーチングの勉強を始めました。会話の聞き方を習ったり、本人が自分で納得した答えを出すサポートの仕方を教えてもらいました。それを身につけることによって、コミュニケーションの取り方がスムーズになったり、地方暮らしで同じような悩みを抱えている女性たちと話し合える場ができました。私自身も会話することで楽になり、今までとものの見方が変わってきた感じがしましたね。

個人から村へ村内の女性でマルシェを開催

小規模なワークショップを開催していたのですが、村で女性活躍推進に関わる事業が始まり、東京の方から料理研究や出版、経営などで活躍している著名人を呼び、村単位でのワークショップが行われました。

この会をきっかけに村の女性たちだけで何かできないかという話になり、マルシェを開催することとなりました。そこで初めて村役場へ相談や企画の提案をしに行ったり、場所を借りるための申請をしたり、また村にある道の駅「マルシェ」とコラボしたりと村の施設などと繋がりました。出店者やスタッフは村在住の女性で、前職や趣味で身につけたスキルを活かして、クラフト工作や美容、アイシングクッキーやハーブティーなど多彩なお店が並び、村内の女性のみで開催したことで自信がつき、思考が高まる自己啓発の機会となりました。本当に楽しくて今でも話に上がるほどです。

村から県へ NAGANO農業女子に参加

NAGANO農業女子の交流会

そのあとはNAGANO農業女子というグループにコアメンバーとして参加し、セミナーやワークショップを通じて川上村で交流会を開催しました。前半はメンバーでワークショップ形式で話し合って、後半は農村生活マイスターの方々に来ていただいて、茅葺き屋根の家で郷土料理の「はりこしまんじゅう」を教わりながら作って食べました。

さらに、NAGANO農業女子の中でやりたい人を募って「カラフル農業女子」というコンセプトで情報発信部を発足しました。一般の方には長野県の農業をアピールしてファンをつくり、販売促進へとつなげることが目的でした。

農業女子に向けては、圃場に出て泥だらけになっているだけではなく、経営だけをしている人、六次化などの加工をがんばっている人、草刈りやみんなの食事を作ってサポート的な部分で活躍している人など多角的に農業を見てもらい、それぞれの立場で農業に貢献していてそれでいいんだよってことを共感して欲しいなと思って活動していました。

NAGANO農業女子として名古屋での移住セミナーにて

県から全国へ オンラインサロンを開設

全国的な活動でみると、農林水産省が補助事業として開催している女性農業コミュニティリーダー塾に参加しました。そこでは講座の中で一人ひとりが農業に対して目指す経営体や地域に対してビジョンやゴールを立て、それを達成するための方策や評価の仕方、リーダーシップの取り方など実践的な内容をプロの先生方から学びました。

活動範囲が広がり、自分の考えや思いに共感してくれる女性が多いことを知ったので、オンラインツールを使って全国の方とやり取りできるようにオンラインサロンを開設しました。

オンラインサロンでは対話の時間を大切にしているので、オンタイムでの参加が基本です。参加できない人はアーカイブを見られるようにしています。アカデミックな講座の時は基本的には私が講議しますが、農業女性の幸福度の向上に関してはチームが立ち上がったり、専門家の先生が講義をしたりなどの学びができます。

さらに、音声配信アプリを活用して「茶飲みオンライングループ」を立ち上げ、何気ない日常のお茶会のような内容のラジオ配信もしています。お互いの活動や悩みをオンラインで話し合って、それぞれが自分への活力になればいいなと思っています。

緩やかに変化してきた川上村の農家

あたりがまだ暗いうちから動き出し、黙々とレタスの収穫を始める。7月に入っても朝の気温は10℃を少し超えるくらいで肌寒さを感じるが、この涼しさが野菜には最適である。日が昇ると朝露をまとったレタスがキラキラ光り、瑞々しいレタスが箱に詰められていく。これが川上村の農家の日常である。この風景を見続けてきた智子さんの夫・大起さんに農場について話を聞いた。

 「父の代から専業農家でずっとやってきて、化学肥料を使わずに、この地域で作られた堆肥に土壌に良いとされるものを混ぜたオリジナルの堆肥を使った栽培は何十年も変えずにやっています。今だにその作業は父がやっています。作業的には3月中旬〜8月中旬まで種を撒いて、苗を育てて、定植して収穫するというサイクルを11月上旬まで繰り返していきます。

やり方はほとんど変わらないけど、品種や価格が安定してきたり、外国人研修生に手伝ってもらったりと昔よりだいぶやりやすくなったと思います。そういった背景もあり、朝から晩まで休みなく働くことはしない、家族やお嫁さんが外に働きに出ている、定休を設けているなど昔よりも農家の働き方は変化していると感じています。ちょうど自分たちが変わり目の世代なので、これからもっと女性や農業従事者が働きやすくなっていけばいいと思いますね」

ふきんと自然農園

宮﨑 由紀子さん(東京都港区出身)

北相木村が実施している親子山村留学を活用して、息子の玄くんと移住してきたのが5年前。村営住宅にあった家庭菜園用の小さな畑が農と関われる場所であって、その時は農家になるとは思いもよらなかった。それは東京のオフィスで9 cmのピンヒールを履いて働いていた宮﨑さんを知る元同僚や友人にとっても驚きだったという。その頃は生きてくうえでの義務感で働いていたが、農業を始めてからはPDCAサイクルを繰り返し、より良いものを作りたいという向上心と自主性が芽生えた。それは社会人になってから26年間で初めてであり青天の霹靂だった。子どものためにと決意した移住も今では自分が楽しむためのものとなり日々畑と向き合っている。

※PDCAサイクル…Plan(計画)、Do(実行)、Check(測定・評価)、Action(対策・改善)の仮説・検証型プロセスを循環させ、マネジメントの品質を高めようという概念。

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Toe’s company

清水 博人さん(小諸市滝原出身)
就農前は都内で化学メーカーのコスメティック部門の営業をしていた。健康と美容に携わり知識を培っていくうちに、外見の美や健康だけではなく、食を通じてのインナービューティーという観点から農に繋げられないかと思い、日本人のアイデンティティともいえるお米の食文化を活かそうと思い米作りを始めた。お米から得られる美と健康を高めるために適した栽培とは?その答えとして選択したのは「自然に抗うことなく共存する」ということだった。そして、自然と生き物が共存し、生きていくという共通の目的に全力で向かっている風景は、一つの神輿をみんなで担いでいるお祭りのようだと清水さんは語ってくれた。

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橿山農園

橿山 和幸さん(小諸市滝原出身)
農業を始めた頃は実家の米作りを手伝いながら建設会社に勤務する兼業農家だった。10年前に専業農家になり、当初6アールだった水田は現在は約6へクタールとおよそ100倍に拡大した。増えた水田の中には、栽培ができなくなった生産者から引き継いだものも多い。また、密集した棚田が多いこの地域では道が狭く、機械が入りづらい場所もたくさんある。それでも前職の建設業の経験を活かし、重機を使って圃場の整備をしたり、草刈りや田植え、稲刈りなどの機械を駆使してほぼ1人で92枚もの水田を回している。地域の方々か ら引き継いだバトンを手に橿山さんは常に走り回っている

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ベジガーデン畑楽*きんぺい

金澤金平さん(御代田町出身)
定年退職後に地元の御代田町に戻り、農業を本格的にやるようになった。 以前からネットで珍しい野菜を見つけては週末に地元に帰って栽培をしていた。最初は趣味の延長でやっていた畑仕事も、直売所の立ち上げに関わったり、昔とは変化してきた食文化の流れもあり、野菜の需要も多様化してきた ため、品種や生産量が徐々に増えていった。そして何よりも金澤さんが農業を続ける理由としては人との繋がりである。飲食店やホテルの料理人との出会い、直売所に買いに来るお客様とのやり取り。そのどれもが刺激的であり、会社員時代には味わえない経験ばかりであった。金澤さんのセカンド ライフは今も全盛期を更新しているのかもしれない。

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中島花き園芸

中島 和輝さん(佐久穂町出身)

佐久穂町のシンボルでもある茂来山を背に、祖父の代から3代目となる花卉栽培農家。米農家だった祖父が田んぼを花栽培に切り替えた。そして、父親の代になると町全体で施設を使っての産地化が推し進められ、いつしか町の一大産業になっていった。さらに和輝さんが引き継ぐようになると、世の中の花に対する需要や価値観も少しずつ変わり、多様化してきた。高校卒業後、フラワーデザインを学び、花屋に勤めた和輝さんは、その経験を生かし、栽培だけではなく幅広いニーズへの対応と自分の感性を大切に花の魅力を伝える。新たな世代が繋げる花作りへの挑戦は続く。
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けんの農醸 Brewing Farmers & Company合同会社

鈴木 健之助さん(神奈川県横須賀市出身)
中学校から大学までの10年間は陸上競技に没頭する日々を送っていた。専門競技は400mハードル。競技人生を終え、就職活動を始めた時「自分は陸上以外に何ができるんだろう」と気づかされた鈴木さん。書店に行っては自己分析や人生の参考書となりそうな本を買って読んでいた。そこで出会った本に書かれていた言葉で、自分のことは忘れて人の為に尽くすという意味の「忘己利他(もうこりた)」の精神に感銘を受けた。そんな仕事をしたいという思いと、体を動かすことが好き、食べる物に興味がある、そして生きていくうえで必要な仕事という考えの結果、選んだのが農業だった。それから就農して醸造所を造り、酒造りをするまでにいろんなハードルを飛び越えてきた鈴木さんは根っからのハードラーだ。

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八菜農園

塩川浩志さん(東京都出身)
 
大手新聞社の記者だった塩川さんは、社会部で刑事事件などを18年間取材してきて、やりがいもあった。一方で、昼夜問わず働く仕事のスタイルは、子育てや家庭の時間が取りづらかったため、思いきって転職と移住をすることに決めた。就農のため2010年の春に長野県に移住、1年間の研修を経て2011年に独立した。八菜農園の畑や作業場がある場所は、佐久市の中枢機能が集まっているエリアから車で5分ほどで、牧場や種の試験場が目の前に、名所にもなっている菜の花畑がすぐ横にあり、眺めの良いロケーションが魅力的である。

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りんご家SUKEGAWA

鮏川和明さん・理恵さん(東京都出身)
 鮏川夫妻は東京で生まれ育ち、音楽関係とスタイリストという農業とは畑違いの仕事に就き、全国を回り歩く日々だった。理恵さんは幼いころから祖父母が営んでいた小諸市のリンゴ畑に、秋になると収穫の手伝いに来ていた。途中から和明さんも手伝うようになり、自然やリンゴと触れ合うことで気分転換になっていた。出産、育児を機に地方に住んで、自然環境の中での暮らしや子育てに魅力を感じるようになっていった。いろいろと考えた結果、実家の東京に近い小諸市に移住することに決めたのは気持ちのどこかに、いつも手伝っていたリンゴ畑の開放感と心地良さがあったからだ。

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ル・ポタジェ・デ・セル

中根 ニコラスさん(イギリス出身) 
スコットランド生まれフランス育ちのニコラスさん。イギリスの大学に通っていた1996年に1年間だけ交換留学で群馬県に住むことに。大学で日本の美術史を専攻していたこともあり、交換留学後も毎年のように来日しては寺社や博物館、美術館などを見て廻り、日本の美術や文化を勉強していた。
大学院を卒業後はフランスの酒販会社に入社。仕事の取材や撮影で酒の原料となる麦やブドウの生産者を訪ね、自然酵母を使用して自然派ワインを製造する現場などを見て栽培方法や品質の良さを感じてきた。その頃「自分で食べるものは自分で作っていきたい」という思いも芽生え、2013年にフランスでパーマカルチャーの資格を取得し、農業を始めた。
佐久市春日に移住して4反歩からスタートし、現在では自身の畑に留まらず、パーマカルチャーの概念と倫理のもと、自然環境の循環と維持のために周辺の土地を借り、永続的な農業の実践に取り組んでいる。

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