ふきんと自然農園

宮﨑 由紀子さん(東京都港区出身)

北相木村が実施している親子山村留学を活用して、息子の玄くんと移住してきたのが5年前。村営住宅にあった家庭菜園用の小さな畑が農と関われる場所であって、その時は農家になるとは思いもよらなかった。それは東京のオフィスで9 cmのピンヒールを履いて働いていた宮﨑さんを知る元同僚や友人にとっても驚きだったという。その頃は生きてくうえでの義務感で働いていたが、農業を始めてからはPDCAサイクルを繰り返し、より良いものを作りたいという向上心と自主性が芽生えた。それは社会人になってから26年間で初めてであり青天の霹靂だった。子どものためにと決意した移住も今では自分が楽しむためのものとなり日々畑と向き合っている。

※PDCAサイクル…Plan(計画)、Do(実行)、Check(測定・評価)、Action(対策・改善)の仮説・検証型プロセスを循環させ、マネジメントの品質を高めようという概念。

つながり自然農園磯村聡さんとの出会い

 佐久市にある「つながり自然農園」(Vol.13で紹介) が企業と協働で開催した農業体験のイベントに玄くんと参加したことが磯村聡さんと知り合うきっかけに。そこで受けた感動と衝撃がその後の宮﨑さんに大きな影響を与えた。

宮﨑:5月の田植え体験を子どもにやらせたくて参加したのが最初で、その後のトウモロコシの収穫体験と川遊びに参加した時にいただいたカブ、トマト、トウモロコシがものすごく美味しくてびっくりしたのを覚えています。どうやったらこんな野菜が作れるのだろうと気になり、メールでどんな肥料を使っているのか聞いてみると「肥料は使っていません」という返事がきました。

野菜を作るのに肥料を使うのが当たり前で、いかに良質な肥料を使うかが有機農業では大切だと思っていたので何を言っているのか意味が分かりませんでした。それでも自分もこういう野菜を作ってみたいと聡さんに言ったら「研修がてら手伝いに来てみませんか」と誘っていただいて農作業をするようになりました。

この時点ではまだ仕事としての農業は考えていなくて、ただただ肥料も農薬も使わないってどういうことなのかを検証したくてお手伝いしていましたね。それが畑を始めるきっかけになったと思います。

そこで気づいたのが子育てとの共通点です。子どもを育ててみると、私が先回りしてあれこれしなくてもすでに子どもにプログラミングされていて、自然に卒乳したりトイレで用を足せるようになっていました。聡さんの野菜も同じように野菜に任せれば野菜が元々持っている力で育っていくんだなって。

磯村:そうですね。土の中の微生物が過ごしやすい環境さえ整えてあげれば微生物が勝手に活動しだして、そこに野菜を植えることで野菜も自然に育っていくというのが僕のやり方ですね。野菜も子育ても手を加え過ぎずに必要なことだけ手を差し伸べるようにしています。

自然が喜ぶ土づくりをするために

研修期間を経て、畑を借りるようになった宮﨑さんは磯村さんの栽培方法を自分の畑に持ち込み、まずは土づくりから始めていった。

宮﨑:つながり自然農園さんのやり方をそのままにキノコの廃菌床と籾殻を土に混ぜ込みました。廃菌床は地元のキノコ園さんにお願いしていただけることになったのですが、その時は軽トラックを持っていなかったので、籾殻袋に詰めて乗用車に積んで運んだら袋からこぼれて車の中がメチャクチャになったりしました。

なので軽トラックを所有している人にお願いをして片道8kmを何十往復もしてもらったおかげで、初年度から土をいい状態に持っていくことができました。それが1つのきっかけとなって軽トラックを購入し、今は仲間と軽トラックで廃菌床を運んでいます。

その後も磯村さんとは情報交換をしたり、アドバイスをもらったりしている。北相木村と佐久市では標高で300mくらいの差があるが、その環境の違いによる影響についてや、病気になった時の対策方法など様々なことをアドバイスしてもらったが、師匠ともいえる磯村さんはそれ以上の存在だという。

宮﨑: 私は一般的にはこうやるとか、普通はそうはしないと言われても自分で実際にやって検証してみないと納得できないんです。そんな時でも聡さんは否定的なことは言わず、笑ったりもしないで見守ってアドバイスをくれて、それが支えでした。聡さんは唯一無二と言ってもいい存在です。

磯村:いやあーもう宮﨑さんは凄いですよ。できない理由っていくらでも挙げられるではないですか。ましてや誰かから引き継いで来たわけでもなく実績もない。だけど理由をつけて止めるということはせず、自分で思ったことをやりきる力はたくましいですね。物がないからできないではなく、持っている人に借りたりやってもらったりするなんて自分ではまずできないですね。

宮﨑 あれがない、これをやってみたいと言っていると近所や周りで誰かが助けてくれるんですよね。そういった人たちのおかげでできています。

人との繋がりに助けられて

当初は必要な機械や資材はほとんどなかったが、近所の方や農業の先輩、知り合いの情報や協力によって足りないものが埋まっていった。そこには地域コミュニティによる温かい和があった。

宮﨑 :耕作面積を増やしたいと思って隣の空いていそうな畑を気にしていたら、元々借りている畑の地主さんが持ち主の方に聞いてくれたんです。畑をやりたいけど耕運機がない、ハウスの資材がない、豆のアーチに使う資材がない、軽トラックがないなどあれこれ言っていたら「うちの使ってない耕運機をあげるよ」「自分たちで解体して持っていってくれるならあげるよ」「ここの車屋で質のいい軽トラックが安く売ってたぞ」などいろんな人に気にしてもらい、助けてもらいながらやってこれました。

慣れない手つきで耕運機をかけている姿や豆のアーチ作りに手こずっている姿を見かねてトラクターを出していただいたり、組み立てを手伝っていただいたなんてこともあったのですが本当に感謝しかないですね。 

あとは、身近に有機農家のグループ「こうみゆうきちゃん倶楽部」があったのも大きいと思います。グループの一員になることで、先輩方から技術的なことを学んだり、共同で野菜を関東圏のスーパーやレストランなどに出荷できることもこの地域で有機栽培をしていくには欠かせない存在となりました。

東京にいる時は、お金を出せば色んなものが手に入ったり便利な生活ができると思っていたけど、ここではお金だけではない価値観があって、それが暮らしていく上で大切だ。お金で買うだけではなく、この地域で自分で野菜を作って食べられる豊かさや幸せを感じながら生きている実感を今は噛み締めている。

宮﨑:野菜って必要な物を必要な分買った方が金額的には安く済むと思うんです。だけど私は、トウモロコシやトマトなどは金額ではなく美味しい物を食べたい。そして、美味しくて安全な物が自分で作れるようになると今度はいろんな人に食べてもらいたいという気持ちになっていくんですよね。なので東京に住んでいた時の友人や仕事の同僚に向けて宅配を始め、そこから他の人に繋いでもらって直接「美味しかった」と言ってもらえるようになったことが嬉しいです。

もっと身近な野菜に感じてもらえるように、価格は東京で感じたオーガニック野菜の高級感ではなく、この地域の直売所で買える価格にしています。ビジネス的にいえばもっと収益になる野菜を選んで栽培したり価格設定を考えた方がいいと思うのですが、楽しく農業を続けていくことが自分の中では一番なので、その気持ちに従って楽しいと思えることだけを選んでやっています。

ふきんと自然農園

  • 栽培品目
    • トウモロコシ、ミニトマトを中心にフルーツほおずき、ジャガイモ、ナス、など多品目を栽培。ドライトマトやとうもろこし茶などの加工品。
  • 販売先
    • 宅配、小海町農産物加工所、ガトーキングダム小海など
2023年7月26日